神社・仏閣 |
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倭文はしずりで麻などの繊維を染めて織った古代織物
穂坂御牧が栄えた頃、御牧の役人の妻や娘などが中心となって
織った精巧な織物、これらの技芸の上達を祈る為に天羽槌雄命
棚機姫命を祀ったのが神社の起こり |
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武田家発祥地の氏神、本殿は信玄公が造営したもので重要文財 |
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もとは七里岩の上にあったが天正11年、暴風雨のため社殿が倒壊し、韮崎町に再建。境内正面には樹齢300年を超えた松の名木があり鶴亀松といわれる双樹 |
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勝手神社は応和元年(961)に大和国吉野山から勧請した古社
【勝手神社のケヤキ】根回り13.8メートル樹高18メートル
市内のケヤキの中で最大級 |
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苗敷山穂見神社は古い山の信仰から仏教・修験道が融合し
古代から中世、近世と神仏融合、本地垂迹思想の中で
一般民衆の信仰を集めてきた山岳信仰特有の神社 |
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甲斐武田氏の祖、武田信義公の菩提寺であり墓搭と言われる五輪塔があり本尊の木造阿弥陀如来及び両脇侍像は国の重要文化財
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七里岩の南端、岩崖絶壁の中段に一大洞窟がある。洞窟に聖観世音菩薩、弘法大師御尊体、千体地蔵尊のほか数知れず石仏が安置されている。御堂の建築様式は室町時代のもので岩壁に張り出した舞台作りの珍しい建造物
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満福寺 |
武田氏の分家筋にあたる穴山氏の菩提寺
境内には穴山氏のお墓がある
住所:韮崎市穴山町1509 |
光明寺 |
武田勝頼が人質に取っていた、木曽義昌の嫡男・母・妹の墓がある【光明寺のカヤ】根回り8.4メートル樹高20メートル
住所:韮崎市藤井町654 |
宗泉院 |
宗泉院は地元の人たちから「山ン寺」と言われるとおり
山奥にひっそりと佇むお寺
住所:韮崎市円野町上円井3481 |
大輪寺 |
代々武田家の股肱として板垣氏と共に家老の職を務めた
甘利氏の館跡に建ったお寺。甘利君遺徳碑がある
住所:韮崎市旭町上條北割2990 |
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